こころの豊かさを取り戻したい

最近、心の豊かさを失ってしまったような気がしている。

およそ1年半前まで私は東京に住んでいて、就職のために引っ越し、今は都会とはかけ離れた田舎に住んでいる。仕事は良いことも悪いこともあるが、なんとかやっていけていて、転職したいほどの不満は今のところない。問題は、休みの日。

仕事のない休みの日、恋人とも会う予定のないひとりの日、自分が一体何をすればよいのかわからない。

東京に住んでいたころ、休みの日の私は自由だった。すみだ水族館の年パスを持っていて行こうと思えばいつだって水族館に行けたし、大きな本屋さんだってどこに行くか選べるくらいにはたくさんあったし、美味しいごはんやさんだってたくさん知っていた。そして何より、そのすべてに電車と徒歩で行けた。行き先を決めなくたって家を出て電車に乗ればどこにだって行けた。

電車移動の良いところは、切符を買って電車に乗る場合を除き、基本的には降りる場所も乗る電車も急に変えられるところだと思う。交通系ICカードは偉大。目的のない旅がしやすい。すみだ水族館に行くために家を出たけれど、やっぱりやめて美味しいプリンを食べに行ったっていいし、意味もなく東京を出てみたっていい。

今の私は、(東京に比べて)電車がほとんど走っていないような田舎に住んでいて、移動はもっぱら車で、自分で運転をしなければならない。

車の運転をするとき、私は目的地を確実に決める。当たり前だが、目的地がはっきり決まっていないとウインカーを出すかどうか迷ったり、知らない道に迷い込んで誰かに迷惑をかけてしまったりしかねないためである。車の運転が苦手なわけではないが、車を運転することが好きではないのは確かで、運転にかかる心理的なハードルはかなり高い。

さて、そうすると、車の移動では私の好きな「自由に行き先を考えながら移動して心を満たす」ことができない。行ってみたいカフェがあっても、車を運転してまで行きたくない。そのカフェに行きたい私のためだけに頑張れない。

この考え方があるせいで休みの日は自然と家に籠りがちになるが、じゃあ家で何をしたらいいのか、というのも実際よくわからない。

学生のころ、「ツイキャス」や「もくり」で人と話すのが好きだった。答えのない話題についてみんなで話し、その人の考え方を知るのが好きだった。就職しても、そういうことがずっとできるのだと思っていた。

しかし、私含め同世代がほとんど就職した今、誰かと久しぶりに話すと必ず「近況報告」と「恋愛・結婚」と「仕事(上司の愚痴か自分のシゴデキ自慢)」の話になってしまう。近況報告を順番に話したり聞いたりしているとき、「これを聞き始めた人は話題を広げられる自信があるのだろうか?」といつも考えてしまう。近況報告をしていく流れに持っていく人間は大抵の場合、聞くだけ聞くくせに話を広げない。そしてそういう人に限って近況報告も面白くなく、自分の愚痴を聞いてもらうための報告になっている。

ただの報告や愚痴ベースではなく、そこから価値観の話とか、もっと込み入った話をしたい。美味しいごはんのお店の話だって、何がどんな風においしいのか詳細に聞かせてほしい。欲を言えば、江國香織の本についてとか、流浪の月についてとか、映画「怪物」についてとか、話したい。

それよりもっと、ウミガメのスープとかしようよ。「餃子に入れたら最強な具材選手権」とかについて話そうよ。どうでもいい話って楽しくない?だめ?だめかあ。

あんなに休みの日が楽しくって、自由で、アクティブに動いていたからこそ家で引き籠る日だって意義があって。そういう日々を取り戻したいのに、どこから手を付けたらいいか全然わからない。どうしたらこころの豊かさって取り戻せるんだっけ?

こういうブログに対して「自分は運転が苦じゃないから楽しいけどなあ」みたいなどうでもいいリプを送ってくる人間がいなくなれば、世界ってもっとよくなったりする?

自分が面白くなくなっていく気がして許せない。人としてダメになっていくのが怖い。

いま、心の豊かさを取り戻さなければいけない。たぶん。

大学院をやめようと思っていたけれど結局卒業した話

今回は、大学院をやめようと思っていた私が結局卒業した話を書きます。

私が大学院をやめたいと思っていたころ、つまり退学しようかどうか迷っていたころに色々な人のnoteやブログの記事を読みました。大学院をやめたけどなんとかなった人の話、大学院をやめてどうにもならなくなってしまった人の話、大学院をやめようと思ったけれどやめなかった人の話……大学院(特に修士課程)をやめたいと思っている人は私が思っていたよりもたくさんいましたが、それぞれの体験は似て非なるものでした。私もその中のサンプルのひとつとして誰かの役に立てばいいな、という願いを込めてこれを書きます。

私が大学4年生のころ、大学には籍だけ置いており、研究は学外のとある研究室でしていました。つまり、学部4年のころから外部の研究室に共同研究員という形で通わせていただいていた、ということです。特に自分が強く興味をひかれる分野があり、その分野の研究に携われる研究室を探して自分で(学内、学外の様々な)研究室の先生にアポを取り、研究室見学をし、選んだ進路でした。その研究室は大学の研究室ではないため、学生たちは全員どこかの大学に籍を置いていました。私が4年生の時は同期が3人いました。

4年生の時の研究は順調でした。同期の中でも一番研究の進みが早く、やる気も一番ありました。同期に研究の手技を教えたり、先輩から研究の一部を任されたりもしていて、充実していたため、研究室にいる時間をほとんど苦に感じませんでした。

私がいた研究室では、学部生の時は様々な学部の学生が受け入れらていましたが、大学院生(修士・博士)になると、とある特定の大学院に籍を置く必要がありました。その大学の連携研究室として定められていたためです。そのため、修士課程への進学を希望していた私と同期のうち1人は学部4年生の8月に大学院入試を受けました。しかし、受かったのは私だけで、もうひとりは同じ大学院に通えず、ほかの大学院を再受験して通うことになりました。その同期が通うことになった大学院は研究所からかなり遠く、しかし、連携研究室ではなかったため、同期はM1の4月から両研究室を行き来することになりました。

修論に向けて学部4年の冬ごろから始めた研究は、それまでとは少し違い、完全に自分一人の研究でした。それでも、うまくいかないときや手伝いが必要なときは同期に手伝ってもらいながらなんとか進めていました。この研究はいつも使っていた系統と違う系統のマウスを使う必要があったのですが、私はその扱いがうまくいかないことがよくありました。

M1の春、私と同期は別の大学院の授業を受けながら、それでも時間があるときに研究室に行き、土日も返上して研究を進めていました。そのころ、私が冬から進めていた研究に対して、先行研究をしていた先輩から指示される実験の進め方と、指導教員から指示される実験の進め方が異なることが目立つようになりました。片方の指示に従って研究を進めたことをミーティングで話すと、もう片方から「そんなことは指示していない」「やらなくてもいい」と言われてしまうこともありました。目上の人から板挟みにされることがしんどく、少しずつ先生や先輩のいる時間帯に研究室へ行くことを避けるようになりました。ただ、それでも研究そのものが嫌だったわけではないため、しんどいな、と思いつつも、研究室のミーティングへ参加したり、最低限の実験をしたりしていました。

M1の7月ごろから、たったひとりのラボの同期が研究室に顔を見せなくなりました。上手に実験ができなかったとき、先輩と先生の意見が食い違っていて困ったとき、話を聞いてくれていたのは彼女だったため、そのころから私は研究室で先生以外とほとんど話さなくなりました。9月、研究室に行くと彼女の名札はなくなっていて、デスクからもすべてのものが無くなっていました。同期は大学院をやめてしまったんだな、と悟りました。後で聞いた話によると体調を崩してしまったそうです。

10月、そろそろ就活を、少なくとも自己分析くらいはきちんとしておかなければいけないな、などと焦りはじめていた私は、研究室に話せる人がほとんどいないこともあり、あまり研究室に行けていませんでした。指導教員からのメールが怖くて、メールの通知をオフにしていた時期もありました。久しぶりに研究室に行った私は先生に、「誰も頼れる人がいない感覚がしていてつらい」という話をしましたが、先生は「以前にもひとりで頑張っていた生徒はいる」「○○(私)さんなら大丈夫」と言いました。指導教員が底抜けに明るい笑顔で毎日「実験はどう?」と話しかけてきて、あまりうまく行っていない話をすると、「頑張らなきゃ修論がかけないよ」とさらに焦らせてくることがしんどくて、怖かったのを覚えています。また、同期に手伝ってもらってなんとかやっていたマウスの扱いが、ひとりになった途端にうまくできないことが増えました。いざ一人で何かをしようとすると、怖くてほとんどパニックのような状態になり、何もできなくなってしまう、という状態が続いていました。

年が明けて2月、3月。先生からの圧を受けながらも必死に研究をしてきた私は本格的に就活を始めました。面接、SPI、自己分析……人並みに就活の洗礼を受け、それなりにしんどい気持ちもありましたが、就活という正当な理由で研究室に行かずに済むことが許され、少しだけ安心もしました。そのころ、私は土日に研究室へ行くことが多く、同じ時間によく研究室へ行っていた後輩くんにダル絡みをされていました。後輩くんは私に就活の話や研究の話を聞く代わりに、彼自身の恋愛や高校の頃の話をしてくるような人でした。その時期は研究の息抜きも兼ねて彼とよく会話をしていました。

M2になりしばらく経ったころ、6月になると、企業から内々定をいただき、就活が終わりました。私は自分を追い込むために、自ら指導教員に「内々定が出たので就活が終わりました。研究室にこれからはもっと来られるようになります。」と宣言し、宣言通りにその後7月あたりまでは研究室に頑張って行っていました。そのころ、研究室に行くと必ずお腹を壊していたのは、今考えてみるとストレスのせいだったのかもしれません。

この時期から後輩くんは私に対して馬鹿にするような発言をしたり、なぜか私の研究とは関係のない彼の研究を手伝わせようとしてきたりするようになりました。「一緒に縄跳びしませんか」と誘われたこともあります。今考えても何だったのかよくわかりません。初めは自分に話しかけてくれることが息抜きになっていいな、と思っていたのに、それがだんだんとストレスになっていきました。ある日、私がマウスを扱うことが苦手だと知っている後輩くんから、「マウスを扱うのを少し手伝ってほしい」と言われ、「あんまりうまくできないけど、できることなら手伝うよ」と言って実験を手伝ったことがありました。そこで私はやはりうまくマウスを扱うことができませんでした。後輩くんは「先輩って僕より1年長く研究室にいるのに、こんなこともできないんですね」と言い、それから私に一切話しかけてこなくなりました。余計な話しかけられが発生しないことでストレスが減った反面、自分が苦手で、うまくできなくて、指導教員をはじめいろんな人に教えてもらって、頑張って頑張って克服しようとしたのにそれでもうまくできないことを「こんなことも」と形容されたのが心に残りました。このころ、毎晩のように研究のことを考えては眠れなくなり、お腹が痛くなる日々を過ごしていました。先生から確実にメールが来ないであろう深夜の時間帯だけが気の休まるときでした。

8月、お盆休みに私は名古屋にいる恋人を訪ねていました。このころの私はとにかく物理的に研究室から離れたくて仕方がなかったことを覚えています。名古屋ではもんじゃ焼きを食べたり、花火をしたり、水族館へ行ったりしてとても楽しい時間を過ごしました。1週間近く名古屋にいた私が帰る日の朝、たまたま研究室の先生から研究に関するなんてことのないメールが届きました。このころ研究室へ行くことのストレスがあまりに強かった私は、お盆休みの間研究に関することは一切考えないようにしていたので、そのメールで一気に現実に引き戻されてしまいました。ずっと頭の中がぐるぐるし、研究から逃れられなくなり、気付けば号泣しながらパニックになり、過呼吸まで引き起こしていました。研究室に行くのが怖い、研究のことを考えるとつらい、なんのために頑張っているのかわからない、頑張れる気がしない、苦しい、逃げたい、そう思いながらただただ泣き、制御のできない過呼吸の状態にさらにパニックになっていきました。このとき、「もう大学院をやめたほうが良いのかもしれない」と思いました。

お盆明け、なんとか研究室に行けてもお腹が痛くなってしまい、研究どころではなくなってしまった私は、自分の今の状況を把握したいという気持ちも込めて、心療内科にかかりました。心療内科では「いつも病院やカウンセリングでは気丈にふるまってしまう癖がある」ということを伝えたうえで、研究室の人間関係がストレスになっていること、マウスの扱いが恐怖になってしまっていること、誰も頼れないこと、過呼吸になってしまったこと、もうだめかもしれないと思っていること、を伝えました。心療内科の先生は話をよく聞いてくれているような顔をしていたものの、私に「話し合いが足りないんじゃない?」「後輩を頼ってみたら?」「全然あなた元気そうよ」と言いました。私は指導教員にも何度かしんどいことを伝えていたし、自分でも状況を改善しようと思っていたのに、どうにもならなくて、だからここに来ているのに、何も話を聞いてもらえていないような気がしてしまいました。結局その日は「エビリファイ」という不安や焦りの思考を少し抑える薬をもらい、また一週間後に来るよう伝えられました。薬はひとつも飲まなかったし、もうその病院に行くこともありませんでした。

8月末ごろ、私が修士論文の結果として主に使うデータを取らなければいけない日がありました。生物系の研究室だったこともあり、データを取らなければいけない期間がある程度決まっていましたが、私はその期間中もあまり研究室に行けず、研究室に行こうと思って家を出ても研究室までたどり着けないこともありました。そしてその期間中に私はコロナになってしまいました。初めてコロナに罹患した私は38度後半の熱の中で、もう無理だ、と思いました。大学院をやめよう、と。

熱が下がってきたころ、私は母親に連絡をして、お盆に過呼吸になってしまったこと、研究室で思うように結果が出なくてしんどいこと、もしかすると内々定を取り消されてまた就活しなければいけないかもしれないことなどを伝え、大学院をやめたいことを切り出しました。母親も父親も承諾してくれました。

その後、内々定を頂いている企業の方にもメールと電話で連絡をしました。実は私はこの企業の説明会の時に「大学院をやめるかもしれないが、大卒で内定を頂くことは可能か」という相談をしていました。そのため、「研究がうまく行っていなくて、修士論文が書けるか怪しい感じになってきました。卒業できる確率がかなり低いのに、このまま研究を続けるよりも、春から働くために運転免許を取ったり、勉強に時間を使った方が有意義なのではないかと考えました。だから、大学院をやめようと思っています。」という話をしても企業側はあまり驚いた様子ではなく、「もし本当にやめるのであれば、大卒で採用します」と快く言っていただけました。

親と企業に話がついた私は、研究室の指導教員に「研究室の居心地が悪く、研究室にいると体調が悪くなってしまうこと」「頼れる人がいなくて精神的にしんどいこと」を理由に、大学院を退学します、というメールを送りました。「もう親からも承諾を得ていて、企業も大卒で採用してくれると言っています」という文言もつけ、研究を投げ出す形になってしまって申し訳ございません、と謝りました。指導教員は「就職先があり、○○さんと親御さんが決めたことなら何も言うことはありません。」と言ってくださいました。そして、そのまま研究の引継ぎと、ラボの荷物の引き取りと、研究所の偉い先生(指導教員とは別の先生)から退学届けにサインをもらう日を決めました。私が退学することは指導教員から偉い先生に連絡をしておいてくれるとのことだったので、もうその日にサインをもらって事務に提出すれば、大学院を退学できる予定でした。

9月某日、およそ2週間ぶりに研究室に行った私は指導教員と話をし、退学届をもって偉い先生の所へ行きました。その先生は指導教員からすでに話を聞いているとのことだったので、さらっとサインをしてくれるのだと思っていました。しかし、偉い先生の口からは「あなた本当に退学するの?もったいないよ」という言葉が出てきました。その先生によれば、(もちろん大学院によって異なるとは思いますが)大学院修士課程は結局研究成果が第一なのではなく、授業の単位が取れていることが大切なのだそうです。その時の私は研究以外の単位はすべて取れていたため、あとは修論を出し、修論発表をすれば卒業ができる状態でした。偉い先生から「研究室に来るのがつらいなら今あるデータを家でまとめればいい。うちのラボで少し別の研究をしてみてもいい。何も問題ないよ。」と言われ、気持ちが揺らぎました。B4の時からそれなりに研究を進めており、修論にできるデータはあと少しで集まりそうだったこともあり、その提案を選択することが「可能」だったからです。

その後指導教員ともう一度面談をし、偉い先生から提案されたことを整理し、私が今とれる選択肢について確認をしました。

①研究活動を再開し、自分でデータを取り、まとめて修論を完成させる

②私の研究を後輩に引き継ぎ、少しだけデータを集めてもらうことで修論を完成させる

③予定通り研究室をやめる

私が取れる選択肢は3つあり、指導教員はその中のどれを選んでもよいと言いました。

もともと私の中には③の選択肢しかなかったため、②の選択肢が生まれたのは一種の救いでした。しかし、②を選んでしまったら、今ここで研究から身を引いて、それでも学位が取れてしまったら、楽をして学位を取った自分のことを許せなくなってしまうのではないか、とも思いました。

幸い私には相談に乗ってくれる友達も恋人もいたので、いろいろな人に相談をして、どうするか考えました。やっぱりつらいので研究をもう一度やっていくのは厳しいこと、でも修論を書いて発表さえ乗り切れば卒業ができそうなこと、それで卒業できてしまったら自分が自分を許せなくなってしまいそうなこと。

その相談期間中に、研究室の事務員さんとも少し話をしました。事務員さんは学生たちによく話しかけてくださり、私の中ではかなり話しかけやすい存在でした。今までも何度か「大丈夫?」と声をかけていただいたことがあったからです。事務員さんにもどの選択肢を取ればよいか迷っている話をしました。事務員さんは、「修論を書くって決めた後でも、無理だと思ったらいつでもやめていいんだよ。自分が楽して卒業してしまう気がするっていうのは考えすぎだと思うけど、もしそう思うなら、社会人になった後に周りに還元していけばいい。今頑張ることがすべてじゃない。」という趣旨の話をしてくれました。私はその言葉で、とりあえず修論を書いてみよう、と思いました。

9月下旬、内々定をいただいていた企業に、やっぱり修論を書いて卒業できるよう頑張ってみたいことを伝え、指導教員にも修論を書いてみようと思うことを伝えました。

10月、11月、12月で修論を書き、アブストを完成させ、必要な書類をまとめました。内々定をいただいていた企業がある土地は車がないと生活ができない場所だったため、同時期に自動車学校にも通いました。

1月、修論発表を終え、2月、免許を取り、3月、卒業できることがわかり、無事に卒業できました。それからもう1年近く経とうとしていますが、私は内々定をいただいていた企業に無事就職し、休むことなく働けています。

これを読んでくれた「大学院がしんどくてやめたいと思っている人」に私から伝えたいことは、おなかが痛くなるまで頑張らなくてもいいし、初めに頑張って研究を進めたり、授業の単位をほとんど取っていたりすれば、何とかなる可能性もある!ということです。でも、運よくなんとかならない場合だって絶対にあります。なんともならない場合も、身体や精神に不調をきたしたら、信頼できる友人などに相談しましょう。本当になんともならなくなったら、全部やめて、第二新卒の枠で就活を始めるのもいいと思います。お金があるなら旅をするのもいいし、バイトをしながら数年過ごしてみるのも、なんだってありだと思います。研究ができなくても、うまくいかないことがあっても、それだけが全てではないということは忘れずに生きていきたいですね。

同期のいない大学院生は孤立しがちだし、指導教員や先輩は鬼のように強いメンタルを持っていることが往々にしてあります。同じようになれなくたって大丈夫です。アカデミアに残らず就職するつもりなら、なおさら。無理せず生きていきましょう。

野菜スープ

野菜スープに入れるもの。にんじん、ピーマン、セロリ、きゃべつ、たまねぎ。

それから、トマト。

野菜たちが浸かるくらいの水でことこと煮る。

煮えたらそこへ、コンソメ、塩、カレー粉を入れて、またぐつぐつと煮こむ。

野菜を煮込む時間は鍋だけに集中すればよいので、余計なことを考えずにすむ。

出来あがった野菜スープの中にいる、くったりとしたきゃべつと丸みをおびたにんじんが愛おしい。透き通った赤みのあるスープに、カレー粉の油分がほんの少し、ぽわん と浮いているのもなんとも良い。

野菜スープは、身体に良いものだけを集めて作っている、という感じがする。わたしから私へのやさしさのようなものがある。そんな気がする。

そんな気がする野菜スープに、あえてあらびきこしょうなんかを入れてみるのも、また良い。

わたしから私へのやさしさを、私が無駄にする瞬間はなんとなく気持ちがいい。

幸せな夢を見る方法

夜中の二時半。今日はとっても寒かった。都内ではどうやら雪が降ったらしい。

今日は幸せな夢を見る方法について書こうと思う。

 

これを読んでいるあなたは、どんな夢を見たことがあるだろうか。どんな夢を見やすい傾向にあるだろうか。

私が見る夢は、もっぱら悪夢。

悪夢の中でも「追いつめられる夢」がそのほとんどを占めており、「精神的に追い詰められる夢」も「肉体的に追い詰められる夢」もどちらも見る。

前者は先生に怒られる夢、バイト先の塾長に怒られる夢、何か大きな失敗をして取り返しがつかなくなる夢、恋人に目の前で浮気をされる夢……。後者は、銃を持った人間から逃げる夢、大きな蛇に追いかけられる夢、男の人に腕を掴まれて逃げられない夢。とにかく、色々な種類の悪夢を見まくる。

見る夢のほとんどが悪夢なので、眠るのがだんだんとつらくなる。上手に眠れなくなってしまう。

 

そこで、私はここ数年間、「悪夢をできるだけ見ないように眠る方法」について模索した。どうせ見るのなら「夢ならでは」と思えるようなわけのわからない夢か、友人や親しい人と幸せな生活をしているような夢がいい。

 

まず、私はなぜ悪夢ばかり見るのか?

答えは簡単で、普段から物事をネガティヴな方向に捉え、考えがちだから。

それなら、寝る前に現実から逃避するか、幸せなことを想像してから寝たら良いのでは!?ということで、解決策を3つ考えました。

 

①読書をしてから眠る

これは、現実から逃避することで、リアリティのない不思議な夢を見られるのではないか?と期待して思い浮かんだ解決策。結果は失敗。なぜなら私が読む小説は人間関係ドログチャ系が多すぎるのと、恋愛関係の本や現代短歌を読むともれなく恋愛関係の悪夢を見てしまうから。ちなみに小説内で起こっている人間関係ドログチャだけを綺麗に夢の中に持ち込み、親しい人とドログチャになる夢も見たことがある。最悪。

 

②友達や恋人など、親しい人のことを考えながら眠る

これは、幸せなことを想像してから寝たら、幸せな夢が見られるのでは?と期待した改善策。結果は失敗。親しい友人が死ぬ夢、恋人が目の前で浮気をする夢ばかり見る。親しい友人が恋人と目の前で浮気をする、というなんとも生々しい夢も見たことがある。最悪。

 

③見たい夢の内容を書いた紙を枕の下に入れて眠る

これも、②と同様に幸せなことを想像してから寝たら幸せな夢が見られるのではないか?と思い、やってみたもの。「美味しいシュークリームを食べる夢」とか書いて枕の下に入れて寝てみた。結果は失敗。シュークリームがきっかけで誰かに怒られる、という謎の夢だけを見た。精神的に追い詰められている。最悪。

 

そんなわけで、私が思いついた解決策3つはすべて失敗に終わっている。

……なんかこれ、まとめサイトみたいな終わり方になっちゃうな。「試してみましたが、答えは見つかりませんでした!わかり次第追記しますね!☆」みたいな。良くない。

幸せな夢を見られたら、寝るのがもっと幸福で、温かくて、良いものになる、と私はずっと信じている。自覚している限り、中学生の時から悪夢ばかり見る。そろそろ解放されたい。

幸せな夢を見る方法、ご存じの方がいらっしゃいましたら教えてください。

 

みんなはいい夢見てね。

愛について

愛について。

これは数日前に私が恋人と議論したテーマである。

と言っても、「何を愛と定義するか?」というものではなく、人によって「これって愛だな」と思うものにギャップがかなりあるよね、という議論である。

 

私たちは、誰かにされたことや言われたことに対して「愛だな」と思うときがある。それが恋人でも、友達でも、何から受けたものでもいい。

でも、それが本当に愛かどうかはわからないな、と思う。

愛ってなんだろう。私が感じている愛って本当に愛かな。私が相手に伝えているものって本当に愛として受け取ってもらえているのかな。

そんなふうに考えたこと、ありませんか。

 

私はある。なんならよく考える。

例えば、私が恋人から「男の人がいる飲み会に絶対に行くな」と言われたとする(実際は一度も言われたことはないが)。

その場合、私はこれを「愛されてるな、私のことそんなに好きなんだな」と思う。嬉しく思う可能性すらある。

でも、同じことを私が彼に言ったとして、彼もそれを「愛だな」と受け取ってくれるかはわからない。もしかすると、束縛されているな、重い女だな、と感じられてしまうかもしれない。

その要求や出来事を愛であると捉えるかどうかは、その人の生きてきた環境や思考の癖によって決まる。

 

私はたぶん、人からの要求や、何かしらの出来事に「自分が必要とされているか」を考える癖がある。どれだけ歪んだ要求であろうと、「この人に私は必要とされているんだな」と思うと、それを「愛だな」と感じる。

でも、相手はそんなことを考えていないかもしれない。

多くの場合「あなたを必要としています」は「あなたへの愛があります」と同義ではない。

 

それでは、実際に相手から愛されているかどうかを判別するためには、どうしたらよいのか。

言葉を尽くされ、態度で示されたら、自然とわかるものなのだろうか。

そんなことを考えていると、いつも尾崎リノの「逃避行」という曲を思い出す。

その曲には、「これが愛だと答え合わせするための愛をまだ知らない」という歌詞がある。

「答え合わせするための愛」つまり、「正しい愛」のようなものは存在するのか。

もし存在するのであれば、それはどこで学べるのか。

優しくて温かな家族から学ぶものだとしたら。

 

私はいつまで経っても愛を正しく捉えられる自信がない。

 

 

 

※これは246日前の下書きに文章を書き足したものです。

 

うたとひとりごと

さっき机の脚に思いっきり小指をぶつけた。めがねを取りに行こうと思って動き出した矢先の出来事だった。めがねもコンタクトレンズもつけていなかったので、遠目で小指を確認して血豆ができているんだと思った。あとからよく見たら皮がめくれて血が流れていた。痛い。家にたくさん絆創膏があってよかった、過去の私に感謝。最近はすぐに昼夜逆転してしまってだめですね。ちゃんと昼間に活動しなきゃ、という気持ちだけはあります。

昨日はうまく眠れずに久しぶりにHalo at 四畳半のヒューズを聴いた。そういえば最近の曲聴いていないな、と思って検索してみたら最新曲は2021年にリリースしたものだった。調べてみたら「活動休止」と銘打って事実上の解散をしていた。悲しい気持ちになった。私は比較的冷たくて詩的な曲を好きになりやすい傾向にある気がする。mol-74のFrozen timeとか、SleepInsideのMedical Careとか、尾崎リノの逃避行とか。最近新しいアーティストの発掘が出来ていないなあ。

音楽があまり聴けていなくても、バイトや研究で忙しくても、なにかを創作したい、鑑賞したい、という気持ちは常にある。もともと小説や詩集を読むこと、水族館や美術館へ行くこと、映画を見ることが、好きだ。去年は馬鹿みたいに本を読み水族館に行っていた。何かに没入することが好きなのである。「そのことで頭がいっぱいになる」ならなんでもいい。野菜スープを野菜がくたくたになるまで煮込み続けるとか、そういうのでもいい。あ、もしかして私が生物系の実験や研究が好きなのってこれが理由なのかも。それをしている時間は余計なことを考えられないっていう時間が良い。

ただ、いつも水族館に行くわけにはいかなくて、小説を読む心の余裕さえなくて。そんなときにわたしが何をしているか。最近は短歌を詠んでいます。

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はじめは自分のこころの中でうまく消化できないこと、きれいな記憶を言葉として残したいなと思って詠み始めたのだけれど、結構楽しくてちょこちょこ投稿している。もちろんすべてがノンフィクションというわけではなく、フィクションもたくさん含まれている。恋愛のうたが多いのは、恋愛と人間関係について私が思うところがたくさんあるから。お気に入りのうたは「人間は嫌いだ と言うその口が 手料理食べて 美味い、とゆるむ」と「嫌いなあの子を裏垢でブロック ちいさなわたし ちいさな威嚇」。

この前はじめて家庭教師のお仕事をした。行った先のご家庭で「先生は趣味とかあります?」と生徒さんのお母さんに聞かれた。趣味、趣味、趣味、、、、、、考えて、出てきたのは「水族館に行くことと、写真を撮ることが好きです」だった。

昔からずっと思っていることなんだけど、趣味を答えるのって難しくない?趣味もそうだし、私は自分の好きなものを答えるのも難しく感じられてしまう。他者に「これが好きです」って言えるほどそれが好きなのか自信が持てない。好きって表明しても許されるのはどこからなのか基準があったらいいのに、とよく思う。別に私がなにを好きと言おうと誰かに許されないなんてことないはずなのに、何を杞憂しているんだろうね、わたしにもよくわかんない。

好きなこと、純喫茶やモンブランの美味しいお店をめぐること、水族館にいくこと、読書、音楽を聴くこと、料理、文字を書くこと、ひととおはなしをすること、ウミガメのスープ、映画鑑賞。全部ちゃんとわたしのすきなこと、として表明できるようになりたいね。だって好きなはずなので。きちんと趣味って言えるもののはずだからね。

自分と自分の好きなものをきちんと大切にできるようになったら、自分も誰かから大切にしてもらえるんだろうか。それとも、誰かから大切に扱われた経験が豊富な人間が自己と大切なものをきちんと大切にできるんだろうか。永遠の謎。ちなみに私はなんとなく後者だと思う。

 

今日の目標、洗濯/片付け/自己分析をする。

美味しいプリンの話

レポートに追われている。今まさに、今日の24時が提出締め切りのレポートに追われている。でも全然かけないので、代わりに最近の日記でも書こうかな、と思う。昔好きだった人も、書くことで気持ちが整理されると言っていたし。

最近の私はびっくりするほど何もできていなくて、研究も、生活も、バイトも、全部中途半端。毎日4時くらいに寝て、起きるのが12時。研究室にも行けない。だめ人間。バイトもロクにしていない。してるけど。ずっと自分の存在価値について考えては死にたくなっている。

今日は家から出ようと思っていたのに目的の時間に出られず、やっと家を出られたのは20時だった。その間何をしていたかというと、洗濯をしていた。同じ洗濯物を3回も洗った。なぜ?わからない。なんか汚いと思った。匂いがいつもと違う気がして、洗剤と柔軟剤をいつもの3倍量入れた。食物の匂いも味も、空気の匂いもわかるのでコロナではない。本当はあと5回くらい洗いたかったけれど、水道代がかさむと思ってやめた。レポートについては書く内容はある程度決まっているにもかかわらず、書き始められない。自分の紡ぐ言葉が全部ゆるせない。昨日塾講師のバイトで報告書を書いた時、文章も文字も全部気持ち悪くて、何回も書き直した。自分の文字を自分が汚いと感じるとき、精神的に不安定であることはなんとなくわかっている。わかってはいても対処法はわからない。どうしたらいい?誰か知っていたら教えてください。

昨日バイト帰りに吉祥寺に寄った。美味しい定食を食べたいと思って目的のお店に行ったら並んでいた。チキン南蛮定食を頼もうと思っていたのに。それならば焼き鳥でも食べてお酒を飲もうかなと思った。ハツが好きだ。食べたい。行った先の鳥貴族も満席だった。諦めて、治安の悪い通りを歩いていたらお気に入りの喫茶店の営業時間が伸びていることに気づき、入ることができた。よかった、私はここに入れなかったら井の頭公園で動かない白鳥たちと水面を見ながら死にたいと思い続けるところだった。

茶店では4人がけの席に通された。わたしはひとりなのに。そのあと来たお客さんたちはみんな「満席です」と言って入店を断られていた。ひとりなのに4人がけの席に座ってごめんなさい。わたしだってひとりで来たかったわけではないんです、本当はひとりで行動するのはとても苦手だし。お店では黄色のクリームソーダとプリンを頼んだ。ここのプリンは今まで食べたどのプリンよりも、美味しい。甘くて、ホイップとさくらんぼが付け合わせでついていて、カラメルの苦みもほどよい。かためのむっちりとした、クリームチーズの風味がする、濃厚なプリン。私が執着しているプリンの君もきっと気に入ってくれるだろう。また話すことが出来たなら紹介するのに。

気が滅入っていてもプリンを食べる時間だけは幸せなものだった。どんな思考も巡らせる隙を与えられないほどの至福のひと時。どうしてもひとりでいるのがつらくなって、電車で20分くらいの場所に住んでいる知り合いを呼んだ。来てくれると言った数分後に人身事故で中央線が止まって来られなくなった。結局一人なのだと思った。彼が来るまで残しておこうと思ったプリンは時間がたっても美味しかったし、アイスのどろどろに溶けたクリームソーダだって美味しかったけれど。なんだかさみしかった。

自分が必要とされている気がしない。誰がどう言葉を尽くしてくれても自分の代わりはいくらでもいるような気がしてしまう。やっぱりぬるま湯に浸かりすぎなのかもしれない。実家にいたときは、死にたいと思うことがいまよりも少なかった。決して実家が良い環境だったという話ではない。父親から歪んだ愛情を注がれ、性的虐待を受けていた。父が私を贔屓するせいで姉から疎まれていた。母親から嫌われていた。もう一生実家に帰りたいとは思えない。でも、実家には私が存在する必要性があった。毎日父と母の扉を閉める音の強弱を聞きわけた。怒鳴り声が聞こえたらすぐに喧嘩の仲裁に入った。父がお酒を飲んでいる日は母を遠ざけた。毎日他人のご機嫌取りをして、ノイズキャンセリングのイヤホンは一生つけられないと思った。母親の足音が聞えなくなるのは困るから。

自由になってから今までずっと何のために生きればいいのかわからないままだ。自分のために生きなよ、って言ってくる人はなにもわかっていない。自分のために生きるって難しいよ。誰かのために生きたい。サンドバッグでもいい。ヒモ男に寄生されてもいい。ひとりで自分のためだけに生きるのは難しいし、つらい。怒鳴り声や大きな足音に怯えなくなっても空虚な自分に希死念慮が募る。

茶店ノイズキャンセリング機能搭載のイヤホンを付けてクリームソーダを飲み、美味しいプリンを食べている私が死にたいと思うのは贅沢なのかな。贅沢なんだろうね。

ちゃんと昼に活動して夜に寝たい。毎晩お金のことを考えてつらい気持ちになりたくない。感情のリセットのために自傷してしまうのをやめたい。過食も拒食もやめたい。価値のある人間になりたい。料理をしたい。きれいな文字を書けるようになりたい。賢い人間になりたい。読書をする心の余裕がほしい。

以前付き合っていた人が、私が泣くと自信を無くすと言ったので、人前でうまく泣けなくなってしまった。泣けるけど、泣いた後のやってしまった感が強くてしんどい。また別の以前付き合っていた人は、自分の自己肯定感の低さを家庭環境のせいにするなと言ってきた。それから自分の精神的な不安定さは自分のせいだと思うようになった。付き合っていた人はみんな浮気かモラハラをする。恋愛向いてないのかもしれない。知らんけど。結局みんなわたしのことを必要とはしていないのだと思う、彼らはわたしとは違って自分のために人生を歩める人だからね。

とてつもなく雑な文章を1時間も書いてしまった。私って1時間あれば2500文字も紡げるんだな、レポートなんて余裕なのでは?これから2時間でたくさん文字を書こう。睡眠は諦める。ほんとうは毎日何もしたくない。したいと思ったこともできない。これが鬱ってやつ?夏は好きなはずなんだけどね。おかしいな。とにかく何もないのになぜか涙が出てくるときの対処法を知りたいです。

 

今月の目標、コンロを買うこと、水族館の年パスを買うこと。

今日の目標、レポートを提出すること。